スリランカツアーを終えて

こんにちは。ムジカティー販売所の店長をしております、笹岡です。

本日よりスリランカツアーへ行って感じたことやレポートをYUMA(社長)、RUKI(笹岡)、MAKO(堀江)、TOWA(山根)が全4回にわたって投稿していきます。

トップバッターは私、笹岡です。どうぞ宜しくお願い致します。


アーユーボーワン


「『アーユーボーワン』は健康で長く生きてくださいという意味デス。みなさん、また元気な姿でお会いしまショウね。」
今回のツアーでスリランカへ訪れたのは2度目の僕。
5年前と同じツアーガイドのチャリットさんの言葉でムジカティー70周年スリランカツアーは幕を閉じました。


日本のメディアではスリランカの経済が破綻したニュースやデモ運動のニュースで持ちきりで、スリランカへ行くまでにいろんな方からスリランカの現状の問い合わせが増えました。

実のところをいうと僕も少しだけ不安に思っていました。

「今、行って大丈夫なんかなぁ」
「ホンマにお客さん連れて行って大丈夫なんかなぁ」

何度も社長に問い合わせして、今回のツアー内容を組んで用意してくださったシーテージャパンのチャンディカさんにも何度も聞いてもらい、スリランカの現状を教えてもらい不安要素を一つ一つクリアにしていたので、あの頃の僕はさぞかし面倒臭かっただろうなぁと思います。

本当、お二人には感謝感謝です。



歌って飲んで踊って待つガソリンスタンド


いざスリランカに着くと「本当に先月まで暴動が起きてたの?」と疑わしくなるほどの穏やかさ。
目が合うとにっこり笑って挨拶してくれる。気さくに話しかけてくれる。
新型コロナウイルスにより観光客が激減し、外貨が入ってこないために閉じてしまったお店や職を失った人も多く、絶対大変なはずなのに見る人見る人みーんな笑顔なんですよね。

ガソリン問題も都心の方は緩和してきたけど、まだ田舎の方は長蛇の列で並んでいました。
それでも6月7月に比べるとマシなんだそう。

「一番ヒドイ時は二日間並びマシタよ!」

えぇー?!二日間も?!

「でも、全然平気。並んでる間は皆でご飯食べたり、歌ったり踊ったりして過ごしてマシタね。」

スリランカ人の底抜けの明るさとポジティブさと穏やかさに驚愕した瞬間でした。


スリランカについて考える


5年前初めてスリランカへ訪れた時、本やインターネット、人から聞いて教えてもらって得た知識が一気に自分の脳みそ、体全身に吸収されたのが分かった。本物の知識として得た瞬間だった。

それまでイギリスなどの消費国には行ったことはあったけど、生産国に行ったことはなくスリランカが初めてでした。

どこまでも続く広大な茶畑と摘みたての葉の香りが広がる製茶工場。
朝早くから工場は稼働していてマシンの音や、人の足音、茶葉をすくい上げる音、床に散らばった茶葉を箒ではく音が聞こえてくる。

その音すら心地よいと感じました。


お茶の世界には長い歴史があり、生産国と呼ばれている国、消費国と呼ばれている国それぞれに時代背景があり、それら歴史の面影が今なお長く残っているところも多くあります。
決して綺麗事ばかりでないのが歴史だと思うし、その歴史の上に文化が成り立っていると僕は思います。

その歴史を犠牲と取るのか誇りと取るのかは人それぞれだと思うけれど、今、彼らはセイロンティーを作っていることをとても誇りに思っているし、その真剣な姿を自分の目で見て、肌で感じて、言葉と身振り手振りのジェスチャーで聞けたことは僕にとって何よりも変えがたい素晴らしい経験になりました。


スリランカ紅茶局【SRI LANKA TEA BOARD 】の局長からの言葉です。

「今スリランカはコロナなどの影響で観光業による外貨が入らなくなり、経済的にとても厳しい状況です。
紅茶は国を代表する産業であり、外貨を獲得できる重要な産業です。
日本の皆さんが正しい価格で取引をし、セイロンティーを飲んでいただいていることをとても感謝しています。」


僕は今回の旅でセイロンティーの誇りを受け継いで行くのは生産者だけでなく、買い手であり茶商である僕らも受け継ぎ、向き合い、伝えていかなければならないなと感じました。
その為にも僕自身もっと力をつけて、知識を深めて、経験値を増やしていかないといけません。

スリランカのために出来ること、日本のためにできることを考えていきたいです。



RUKI